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 先日amazonで購入した古本 「森山大道論」の中から一枚の栞。  本来は栞ではないが、栞として、使用されていた。本を読み始めた3日目ぐらいに気付いたのであった。  それは、写真展の入場券の半券。 「森山大道展」2008年5月13日ー6月29日 東京都写真美術館  。  そして、その本は2008年6月 4 日初刷発行のものであり、 入場券の半券の裏には、同日の6月 4日の  入場のスタンプが、押されているのである。  先日、私は、森山大道の関連の本が読みたく、amazon で購入した。 「森山大道論」の古本は幾つかの書店で取り扱っていた。販売価格もまちまちである。    何故にして、私がこの、「森山大道展」の半券の栞が挟んであった本を手にしたのだろうか。   これには深い意味が込められているとか、偶然でなく必然の出会いだったら、なんて勝手に都合良く考えると、わくわく、楽しいものである。  今回は、森山大道関連の本を3冊ばかり購入した。「  写真のフクシュウ   」「   写真との対話   」そして「森山大道論」であった。

琴線に触れた。

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最近になって。土曜日休みをとるようになり、時々週休二日になる時がある。    正月休みやお盆の休み、ゴールデンウィークなどの連休は有りましたが、二十数年間、週休二日などなかった勤務体制。  ちょっと休みが増えた事によって、脳みそで、写真の事を考える時間ができた。 そしたら、手が止まった。 脳を動かすと手が止まる。こりゃ困った。 何を撮る。 どういう写真を撮っていこう。 写真を撮った後はどうする。 何を目指す。 趣味で終わりかい。 こんな言葉が脳の中を反芻するばかり。 つまりは、休暇を上手に使えない。  ようやく読書も出来るようになった。  知人と飲める機会も増えた。が。  先日、「写真家 森山大道」の言葉が琴線に触れた。  「 たいして動かないで考えて、あのスタイルもこのパターンもイヤだとか分かったとか言ってやめてしまったら、そこでおしまいなんですね。 やはり撮ることによって変わっていくしかないんです。」  「ダメならダメでやりつづける、変えようという意志よりも撮る意志によって変わっていくことのほうがぼくは正解だと思う。」  「あんまり頭の中でごちゃごちゃと考えたり、理屈をこねてる前に、撮っちゃったほうがいいよっていうことなんだ。」  「理屈なんて、後からいくらでも付けられるんだからさ、 生きて写真を撮ってること自体が、すでにテーマなんだから、その先にさらにテーマなんて必要ないよ。」  「カメラって世界をバンバンとコピーしてくれるでしょ? あれこれとストーリーを考えなくてもいいわけだし、 だって、街そのものがストーリーなんだから、 そこにあるもの自体がアートをやっているわけだから、(写真で)わざわざアートにしなくてもいい。」 「NAVERまとめ」より抜粋。 http://matome.naver.jp/odai/2138019327725015801?page=2 Tokyo sta . Japan OLYMPUS E-P5 +  M.ZUIKO DIGITAL ED  9 - 18mm  F4.0-5.6

周期

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 先日、知人のカメラマンのFbにコメントさせてもらった 「チリ大地震の津波の教訓を生かしても尚、想定以上の津波に壊滅状態になってしまいました。 その土地に生まれ住んでいる人でなければわからないこと、逆に住んでいないからこそ分かる事 っていうのもあるかと思います。  太古の時代には伝承は口承や絵文字や象形文字だったりでしたが、時代と共に伝播技術が発達した現代はもっと、後世に上手く伝えられると良いですね。」 私は、20111年でも今と同じような事言っていました。 写・真 http://blog.livedoor.jp/shusuke777/archives/4382595.html 地元の人でなければ、わからないこと。都会で暮らしている人には、わからないこと。 離れているからこそ わかること わからないこと。できること、できないこと。 2011年当時の私のブログに、南三陸の写真を一部載せています。 http://blog.livedoor.jp/shusuke777/archives/2011-03.html 2012年9月南三陸に再訪時の写真。 http://blog.livedoor.jp/shusuke777/archives/2012-09.html そして、UPできずにいた、いくつもの写真があります。 人力で避けられるものなら避けたいものです。   2011年3月27日 南三陸町

最近気になっている言葉

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最近気になっている言葉 ● 1/f ゆらぎ ● ポリズム    OLYMPUS OM-D E-M1 + ZUIKO DIGITAL ED 50-200mm F2.8-3.5 撮影地:千葉県船橋市 chiba-ken . Japan    OLYMPUS OM-D E-M1 + ZUIKO DIGITAL ED 50-200mm F2.8-3.5 撮影地:千葉県船橋市 chiba-ken . Japan                                      OLYMPUS OM-D E-M1 + ZUIKO DIGITAL ED 50-200mm F2.8-3.5 撮影地:千葉県船橋市 chiba-ken . Japan                                      OLYMPUS OM-D E-M1 + ZUIKO DIGITAL ED 50-200mm F2.8-3.5 撮影地:千葉県船橋市 chiba-ken . Japan

撮影と鑑賞

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  写真というものは、能動的でもあり、受動的でもある。 ひとつ事に、相反する事象が共存すること、これは写真に限ったことではない。   カメラで 撮る と言う行為は、自分が主体の能動的であり、 写真を 鑑賞する と言う行為は、受動的である。   被写体を選び、カメラのボディとレンズの組み合わせで、記録する。 自宅で撮ることもあるでしょう。遠く海外に赴き撮りに行くこともあるでしょう。 それはどこであり、写真を撮るということは、積極的行動の中にあり、能動的なものである。    一方、写真を鑑賞する ことは、写真を見た時に、自分がどう感じるか、と言うこと。 素敵 とか、綺麗とか、癒される とか言った感情が湧いてくる。はたまた、衝撃的だったり、憎悪だったり、それは様々な感情があるでしょう。勿論、写真の全てに感情が生まれてくるものとは限りませんよね。また、見る人によって、同じ写真を見ても、抱く感情が相違するることも珍しくありません。    能動的と受動的。 そして、撮影と鑑賞。  写真が面白いのは、当分尽きそうもありません。                                        OLYMPUS OM-D E-M1 + ZUIKO DIGITAL ED 50-200mm F2.8-3.5 撮影地:千葉県船橋市 chiba-ken . Japan