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ゴールデンテンプルのイベントからスタート。

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カトマンズのお隣のパタンでの滞在は2泊3日。 ルンビニからパタンに移動は丸一日を要したので、パタン1日目は宿泊先で寝るだけ。 翌日2日目は朝からイベント。   場所はパタン市内にあるゴールデンテンプル。 ここでの目的は同行した僧侶さん達が、ネパール大地震の慰霊の礼拝と義援金の手渡しだ。     先ずは、ゴールデンテンプルの寺院内でセレモニーが始まる。現地の方々の、アコーディオン、オルガンみたいな楽器持ち込んで、歓迎の歌を歌ってくれる。総勢20人以上はいただろうか。その歓迎の歌が30分ぐらい続いていたでしょうか。もっとかもしれない。      その後に日本の僧侶がお経を読み、義援金をお寺の責任者の方に手渡し、境内にいた人達に    を配り、一通りのセレモニーは終了。    ゴールデンテンプルはネワール族の僧院です。ネパールの人達は、どうも地元の人に聞くと仏教もヒンズー教もどちらとも隔りなくお祈りをしているそうです。まあ、日本人もお寺回りに、宗派気にしないで行きますが、そんな感じでしょうかね。(新興宗教のお寺は別として)   ゴールデンテンプルで午前中の殆どを費やしたあとは徒歩で5分ぐらいの所にあるダルバール広場へ。王宮広場と言ったら良いのでしょうかね。幾つもの立派な歴史的建造物が沢山立っているところなのですが、地震で倒壊した建物が多く、隙間なくお寺がビッシリ立っているイメージが一転しちゃってます。コレは再建は大変でしょうね。        ネパール ゴールデンテンプル歓迎式典 ネパール ゴールデンテンプル ネパール ゴールデンテンプルにて ネパール パタンのダルバール広場 ネパール パタンの街中 ネパール パタンの街中でにんにく売り                    「晴れ ときどき 写真。」                             http://tokidokiphoto.blogspot.jp

カトマンズのお隣りのパタンへ向かう。

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   ネパールで有名なお菓子屋さんに寄って、私を除く一向はお土産用のお菓子を物色。その間に私は街中をお散歩。既に朝日が昇っているのだが、相変わらず薄暗い。この日のこの町の朝は視界100mといった所だろうか。東の空には薄赤い太陽がゆっくりと昇り始めている。   皆がお菓子を買い終わり、次は学校だ。 ネパールは日本的に言えば、どうやら小中学校一貫制度って感じだ。入学から卒業までは10年(現地で9年って聞いた様な記憶があるのだが)。そしてセカンダリースクールと呼ぶ。ここで面白いのが、何歳になったら、学校に行かなくてはいけないと言う厳格な決まりがないらしい。4歳から学校に通い始める子もいるらしいし、7歳になって通い始める子もいるらしいから、学年内で年齢にひらきがあるのは当たり前らしい。こんなファジーな感覚がとても好きだ。    ここの学校に寄ったきっかけは、トイレ。 メンバーの中の一人が、車の中でトイレに寄りたくなって、急遽立ち寄ったのがココ学校だった。  先ず色鮮やかな黄緑色の校舎が目に飛び込んでくる学校だった。休み時間なのか授業中なのかよくわからない時間。体育でバレーボールをやっている感じの生徒もいれば、外で遊んでいたり、教室を出たり入ったりしている生徒も沢山いる。やはり、この雰囲気は大好きだ。そんな学校だから、どんどん校内に引きづり込まれるのだ。   生徒達も見知らぬ人達が校庭に入ってきたぞ みたいになってザワザワし始めた。早速私は、被写体探し。「ナマステ〜」って挨拶しながら手を振ってカメラ向けて。    校舎の窓からこちらの様子を伺っている生徒と目が合うと生徒さんは恥ずかしがって隠れちゃたり、校舎から出てきて「ナマステ〜」って挨拶してくれる子供達も多数。先生も出てきちゃって、お話がはじまっちゃて。    おトイレがキッカケで愉しい思いができました。      ルンビニからパタンに向かう途中のセカンダリースクールにて ルンビニからパタンに向かう途中のセカンダリースクールにて ルンビニからパタンに向かう途中のセカンダリースクールにて ルンビニからパタンに向かう途中 「晴れ ときどき 写真。」 http://tokidokiphoto.blogs

ルンビニを後にして。

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 ルンビニに2泊してから仏陀の生まれ故郷のルンビニを後にして、カトマンズへと引き換えしました。  再び来た時のあの舗装だけどラフロードを10時間ぐらい車に揺られるのかと思うと、楽しいやら、なんやらの思いでしたが、やはり、すんなりといかないのは海外旅行には付き物でして、いきなりそれは事態が発生。  ルンビニの町を出て、始めの大きな町に入り込んだ途端に、お巡りさんがドライバーに「この道は通れない!トラック2台の交通事故で通行止めだ!」みたいな話になっちゃって、「ルンビニ-カトマンズ間の道路は一本しかない」とルンビニに向かう時に聞いていたけど、オイオイ大丈夫かい?と ちょっと心配にもなりましたが、ほとんどまな板の鯉状態の長距離車移動ですから、心配してもしょうがない、地元ドライバーに任せるしかないでしょうって気持ちに移り変わる時間は一瞬で足りた。   帰国後になって後悔したことのひとつに、もっとiPhone で写真を撮っておけばよかった。そうすれば、後で、その写真で、どこに行ったのかをマッピングしてくれて、足取りが分かるからだ。   後悔した話しからお分かりのように、どこをどういうルートで走ってきたか、わからないのです。グーグルマップで見てもどうにもハッキリしない。 迂回させられたのが、1回ばかりでなく、数時間、山道を走っているとT字路に突き当たり、右に行きたいのに、がけ崩れで通行止め。2回目の迂回があったりです。   道中の山間の住民たちも、普段、こんなにたくさんの車たちが通るのが、珍しいのかどうかわかりませんが、車の往来を眺めている人たちがたくさんいる。始めに迂回した通りは、東西を繋ぐ高速道路が開通する前には使用していた旧道らしい。「今も使えるから大丈夫だ」の話しは聞いたが、それ以降の迂回路は、そんな会話は出てきていない。(しかし、私は激しい振動と断続的なクラクションの鳴る中で随分と寝ていたので、定かではありませんが。)  ルンビニからカトマンズの道中に寄った学校や食堂の話は、次回にしたいと思います。 ルンビニからパタンに向かう途中の街にて ルンビニからパタンに向かう途中にて ルンビニからパタンに向かう途中にて 「晴れ ときどき 写真。」 http://tokidokiphoto.blogs

仏陀の生まれたルンビニは こんな感じ。

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   さて、ルンビニとはどういう所と言いますと、以前にも少しばかりお話ししましたが、ブッダ(お釈迦様、ゴータマシッタルダ)が生まれた地であります。    ですので日本に伝わっている仏教の源みたいなものですかね。 ブッダはルンビニで生まれ、その生まれた直後に7歩歩き、天を指差し「天上天下唯我独尊」といったそうな。意味はググってね。    その場所がルンビニ園の中に保存祀られています。この一帯は、東京都庁を設計した建築家 丹下健三が1969年に整備計画をしており、今なお続行中であります。どうして日本の設計士が手がけているかは知りませんが、丹下健三の実績と日本がこの地の遺跡発掘などの支援金がそれ相当に注入しているからでしょうかね。   その他、様々な国のお寺が集まっている地区があります。その中でも訪ねたのは韓国寺、中華寺、ドイツ寺。   日本寺もありますが建築中に頓挫しているらしい。どうやら、出資している日本のお寺のよからぬ問題があるらしく、中途半端な状態であった。日本の問題でなくこの寺を建立し始めた、いち新興宗教団体の問題らしい。        ルンビニ園から西に車で3・40分程走ったですかね?(昼食後に車内でウトウトしていたので覚えていないのですが)カピラ城址があります。カピラ城はブッダが修行の旅に出るまで暮らしていた宮殿。ブッダは皇族の長男坊だったので、後継者として期待されていたんですね。それなのに、29歳の時に宮殿を脱出して修行の旅に出掛けちゃったです。    にわか作りの 知識ですが、とりあえず、ルンビニはこんな感じの歴史ある町です。 ブッダの生まれたルンビニ園内の様子 ルンビニ園 ブッダの生まれた場所が祀られている カピラ城の発掘調査続行中 カピラ城址の周辺の様子 ルンビニ園の朝 尚、本文中の情報に間違いがあったらゴメンナサイ。                               「晴れ ときどき 写真。」                       http://tokidokiphoto.blogspot.jp         

ルンビニのホテルに感心したりして。

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 ルンビニで宿泊したホテルの食事はとても美味しかった。時々調子が悪くなるけどwi-fiも通じている。 計画停電は免れない。自家発電していると思われる今回のホテルのエアコンの話だが、  ホテルの各室のエアコンは1Fのブレーカーで制御しており、ホテルの人がブレーカーをあげると部屋のエアコンの電源が入る仕組みになっていた。 その仕組みが解っていなかった私は、外出から帰ってきて部屋に着替えに戻った時に、エアコンの電源が入らず、リモコンと悪戦苦闘していたのだが、後からそうと判明した時には、「なるほど〜」って感心していました。 「この仕組みは、我が家でも取り入れらえないだろうか」 なんてね。 写真:ルンビニのホテルにて 写真:ルンビニのホテルにて ルンビニの夜の町を散歩する  「晴れ ときどき 写真。」 http://tokidokiphoto.blogspot.jp

ネパールの働く車たち

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ネパールで出会った車たちを、少しばかりですが写真を撮ったのでの、 今回は「働く車たち」をアップです。 ネパールのバス ネパールのトラック ネパールのバス ネパールの山岳を走るバス パタン郊外で走るバス 干し草を運ぶトラックには牛が集まってくる パタンの街を走る乗合いバス パタンの街を走る乗合いバス これも現役バリバリのバスです。 パタンの街中を走るトラック パタンの街中を走る小型の乗合バス                                          「晴れ ときどき 写真。」                                   http://tokidokiphoto.blogspot.jp

エンプティ〜 (≧∇≦)

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エンプティ〜 (≧∇≦) ネパールでは、極端にガソリンとLPガスが不足の事態に陥ってます。 通常はインドから供給されるのですが、供給量を抑えられています。政治的要素や様々な要件が絡み合っているみたいです。 ガソリンは週に2回だけガソリンスタンドがopenするだけですので、ガソリンスタンドには長蛇の列が成しています。トラックにバスに乗用車にバイク……。 LPガスが不足していますと、飲食店などは泣く泣く休業を強いられます。家庭では、薪で料理したりしています。 鍋が薪を炊いた時のススで黒くなって困ったりもしている様子です。まあ、チョット街から離れますと、日常的に薪を使用するのが当たり前の生活みたいですけどね。 震災直後は今以上にガソリンが不足していたので乗り合いバスには、天井まで人間が乗る始末だったそうです。今はそんな光景は見られません。 ネパールは日本と比較すれば、不足しているものが沢山ありますが、子供はもちろん、大人の笑顔も、いっぱいありました。 ネパールはガソリンとガスが不足でエンプティ。 ネパールの薪で炊事の様子の風景                                   「晴れ ときどき 写真。」                             http://tokidokiphoto.blogspot.jp

ルンビニは真っ暗闇と濃霧の町だった。

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真っ暗闇と濃霧の町だった。 100km程の舗装道路とは言い難い「車に揺られる」ってこういうことなんだと、あらためて実感しながらルンビニに到着したのは、カトマンズを出発した日を超えて翌日のam1時ごろだった。 私たちが泊まるホテル界隈は街灯はほとんどなく、宿泊するホテルのロビーから漏れる灯りとホテルの看板の蛍光灯の灯りが、暗闇の中をキリに包まれながらぼんやりと点灯している程度だった。その蛍光灯の灯りは辺りを明るく照らせることのできるほど元気はなく、寝ぼけ眼で景色を見ているかのようだった。  (その様子の写真を撮ればよかったな。ちょっと後悔)  ネパール国内はどこも計画停電実施中。東日本も3.11以後に計画停電がありましたよね。まさにそういった感じです。計画停電関係なしにココの夜は暗いのでしょうけどね。  いくら車の中で寝れたとしても、熟睡できているわけでなく、流石にこの時間にホテルに着きますと、さっさと寝たいのでありますが、私を含めてほとんどのメンバーが、どこへ行っても wi-fiが繋がってほしいもので、一番最初の質問がwi-fiのパスワードでして。  ホテルは、計画停電中でも自家発電で最低限の電気は供給しています。お風呂のお湯はきっと太陽熱を利用しているものだと思われ、日中の天気が悪かったのでしょうか、お世辞にも 「ぬるいお湯」ともいえない水が出てきます。仕方ないでしょうね。私たちはバカンスに来たわけでもないし、インフラに困窮している状況を知ってきているわけですし、だからココに来たわけですからね。   ネパール ルンビニの夜明け前 夜のルンビニの小さな町の風景 朝8時ごろでも濃霧のルンビニの町の風景 朝もやで視界が悪いの様の風景                                           「晴れ ときどき 写真。」                                      http://tokidokiphoto.blogspot.jp

未だ到着しないぞルンビニ。

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 カトマンズ ドリブバン空港をルンビニに向けて車で出発したのが午後2時ごろ。 車のクラクションで賑やかな街中を抜け、峠を駆け抜け現地人が言う高速道路を走ったのですが、  そこは流石ネパールの道路で、コレが舗装道路かい?と聞きたくなるような道路で、 高速道路という割に未舗装部分があったり、デコボコだらけの道で、時々お尻にガッツンと 衝撃を受けて「キエーッ」って声にならない奇声を発してみたり。 郊外に出ても相変わらずのクラクションの嵐。  それでも不思議なのが、慣れてくると車の中で爆睡。  途中、あの入水事件?のあった休憩後にもう一度午後10時頃だったかな、レストランで夕食とりつつ休憩。 結構、ルンビニまでは遠いぞ。         ルンビニの小さな町を散歩する。                                     「晴れ ときどき 写真。」                                 http://tokidokiphoto.blogspot.jp

ルンビニ への道。

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  ルンビニは、仏陀の生まれた地です。    仏陀(ブッダ)には、お釈迦様、ゴータマシッタルダ、釈尊といろいろな呼び方がありますが、 とりあえず、今日のこの場ではブッダとでも呼ばせていただきましょうかね。   余談ですが、 ネパールの飛行機会社にブッダエアーっていうのがありますね。その他にはネパール航空、シーターエアー、タラエアー、BBエアウエイズだそうです。   ルンビニは「地球の歩き方」では西ネパールに分けられており、カトマンズからは距離にして100km程度で車での道のりは200km程です。ルンビニ近くにバイラワ飛行場がありますが、視界が悪かったりすると飛びません。今の乾季の時期には特に毎日視界が悪く、運休になる事が多いそうです。飛行場の管制塔等の安全面の設備が整っていないと言う話も聞いています。    まあ、危ないなら飛んでくれない方がありがたいですね。   ということで、ネパールのカトマンズ トリブバン国際空港を出て、いきなりやたら多くのタクシーの客引きや意味不明の「チップくれ!」おじさん達の先制攻撃を避けながら、手配してくれていた車に乗り込み、一気にルンビニに向かいました。    カトマンズの中心地を抜け峠道を降りきったあたりで小休止。そこで先ずは第1のハプニング。 今回私を含めて8人の小グループでネパールに出掛けました。普段お世話になっている和尚さんのツルの一声でネパールに来たのですが、その和尚さんが、いきなりの入水!えっ? 入水と言ったらちょっと聞こえが良さそうですが、ドブに「わーっ」って転げながら落ちていってしまった。   落ちていく前の状況がわかっていない私は、何事が起きたのか全く判らず、ただ驚くばかり。 どうやら、その休憩していたお店の7歳ぐらいの子供が和尚を抱き上げようとしたところ、軽くて持ちあがっちゃって勢い余って飛んでいっちゃったと判明しました。和尚さんは69歳の身軽な方。   その子供はキットですが、歓迎の意を表してくれたのだと思いますが、大失敗しちゃいました。 親に怒られるのがイヤで走って逃げ隠れちゃいました。   乗り換え待ちの タイ バンコック    スワナンプーム飛行場にて      乗り換え待ちの タイ バンコック    スワナンプ

今回の渡航先はネパールです。

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  今回の渡航先はネパール。   2015年4月25日 ネパール地震発生。それ以後どの程度復興しているのか気になっていました。 今回の訪問の目的は「義援金を届ける」こと だった。   普段からお世話になっている僧侶のお声掛けで「ネパールに義援金を届けに行くぞ」 で即答で「!!」。   ご存知のように、お釈迦様(ゴータマ シッタルダ)が誕生したのがネパールのルンビニ。その地にも寄り、チョット仏教に興味を持ちつつ歩いてきました。    訪問したルンビニもカトマンズの町でも山村でも、朝はキリ濃く10m程先も見通しが利かず、日中でも靄って視界悪し。    視界の悪い以上に、車のクラクションの賑やかさに驚き。日本のクラクションとはだいぶ意味合いが違う様子。日本は頭から湯気を立たせながらクラクションを鳴らしている様子が多いですが、ネパールは、「合図」の意味合いが強いように思いました。「抜くよ〜」「抜いてもいいよ〜」「直ぐ側にいるから気をつけろ〜」。     感情的な「危ねーなー。バッキャロー!」「コノヤロー」的なクラクションとは違いますね。 因みに、街中でさえ、全くと言っていいほど、信号がありません。 現地の人が「信号があるけど見てるのは猿ぐらい」、「信号の知識さえ無い」とも言っていました。実際にカトマンズの街中の交差点では猿がウロウロしていました。    パタン(ネパール)ゴールデンテンプルにて    カトマンズ郊外の集落にて    ルンビニの小さな町のストリートにて    カトマンズ郊外の大通りにて                             「晴れ ときどき 写真。」                        http://tokidokiphoto.blogspot.jp