天沼神社の御神木

年末から関東平野を南北に流れる見沼代用水巡りをはじめました。

その際に立ち寄った見沼代用水西縁沿いの天沼神社の案内板の

「長い歴史を振り返ると.......。」の文言が心に残ったので文字起こししてみました。


天沼神社の案内板より

天沼神社

此の「楠の木」を天沼神社の「御神木」に指定し、命名する。

  楠の木の注連縄について


 この注連縄は、平成から令和への改元を機に、鎮守である天沼神社の霊験あらたかな加護と天沼地域の発展を祈願して張られました。

 本殿前の由緒板のとおり、明治四十年五月に近隣の神々が合祀され、翌年の七月に当神社は熊野神社から天沼神社に改称されました。この「楠の木」は樹形からして、当時に記念樹として植樹されたと推測され、御神木としてふさわしい大樹です。

 境内を巡ると杓文字の奉納がある石神社(百日咳の神)、八雲神社(除病並びに疫病神消除の神)、疱瘡社(痘瘡の神)、大六天(悪魔除けの神)などの神が祀られ、先人達の不安や願いが推し量られます。ここは先人の慕らしの一端がかいま見られる歴史の窓でもあります

 長い歴史を振り返ると、天沼には時代を越え、地域を越えて語り継がれる事件、事故、災害の記録は見当たりません。当地域には美しい自然の造形はありませんが、その代わりに険しい山も荒れた海もなく、平坦で穏やかな風土が、和やかな人柄、地城性を育んで来たものと思われます。このことは天沼地域の大きな誇りであり改めて先人達の尽力と恵まれた風土に感謝したいと思います

 さて新元号「令和」は日本最古の歌集「万葉集」の「梅花の歌三十二首」の序文から引用されており、令は「おきて、よい」、

和は「やわらぐ、なごむ」という意味があり、「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が育つ」という意味を込めたそうです。今後、天沼神社が「令和」という時代においても、地域の多くの心と心を集め、より強固な心の支えとなることを願うものです。

令和元年 五月一


天沼神社のくすのき



天沼神社 くすのき 御神木


天沼神社 くすのき 御神木