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ラベル(ZUIKO DIGITAL ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD)が付いた投稿を表示しています

今年が終わらないうちに。

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  なんだか、ブログの更新がを怠けていた。前回は、8月21日。 2014年はまだ?30日もあるのだから、今年が終わらないうちに、 今年後半のひとり反省会的に 反省文をダラダラと書いてみるとしましょうかね。   今年は、「本州の日本海側沿いを走ってみよう。」 と言う事で、鳥取、京都、石川、富山、新潟、山形、秋田を回ってきている。 なんか中途半端だよね。    島根、山口、青森が抜けているよね。別に、制覇することが目的ではないので、行かなかったことに、悔いがあるとか、残念だったとか、思いは全くないのだけれども、島根、山口や青森だけを目的地に出かけるには、埼玉からじゃあチョット難儀だよね。    日本海沿いを走ろうと思ったきっかけは? なんだっけかね? 「雪で積もった白い砂浜と海が撮りたい。」だったが、 まあ、見事に撮れなかった。 そんなこんなで、冬の新潟から始まり、初夏には、植田正治写真美術館を目的地に鳥取、京都、石川、富山と周り、お盆時には目的地は何処ということもなく新潟、山形、秋田の海沿いを走った。   小学生の絵日記みたいな文章になっちゃってますが、つづき は次回に持ち越しです。 ではでは。 晴れ ときどき 写真。 http://tokidokiphoto.blogspot.jp/

ざわつきを消したら癒される景色になるのかも。

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ふと、感じたことです。 ざわつきを消したら癒される景色になるのかも。 自分の写真を見ていたら、海や湖の波を長秒で、フラットに収めていると、ざわざわとした、落ち着きのない動きが、目と耳に伝わってこない。   波の音が伝わってこないというのは、臨場感が薄れることと同時に、見る人にとっては、自分で勝手な想像を働かせることも出来るということにもなるね。     写真を見る人主体の写真。わかりにくい表現だけど、自分の好きなものを好きで撮っている写真だけれど、写真を見てくれる人が主人公になれるような写真って、撮れたらいいな。そしてそれが、癒し系の写真だったりなんかしたら嬉しいな。    とふと思いました。                             晴れ ときどき 写真。 http://tokidokiphoto.blogspot.jp/

不均衡の中のバランス

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 不均衡の中のバランス  このフレーズがそもそも釣合いが取れていないよね。  規則正しく並びつつ、均整がとれた羅列の中に、それを乱す物があったりなんかすると、とても楽しい被写体になる。  一見、シンメトリーに見えるのだけれども、わざと、微妙に崩すデザインなんか最高ですね。 それとは逆に、ばらばらな配列だったり、統一感のない物の羅列が、実は遠目から見ると、規則正しく並んで見えたり、統一された物の羅列に見えたりなんかしたら、これもまた、実に楽しいわけです。  建築素材や土木用の材料など単一的な無機質なものが多い中、それが人間の手によって、現場なりに、対応して加工されたものは実に、温かみや人間味などと言った、味が醸し出さててくるように見えるわけです。時にはユーモラスに見えたり、リズミカルに見えてみたり、作業員の苦労も見えたり。    話しが脱線してしまいましたが、整っているようで整っていない。バラバラの様だけど統一感がある。そんな風景が好きで、普段探し歩いているような気がします。 晴れ ときどき 写真。 http://tokidokiphoto.blogspot.jp/

インパクトとか緊張感と言ったもののある写真とそうでない写真。

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 インパクトとか緊張感と言ったもののある写真とそうでない写真。   インパクトある写真を意識しすぎてか、不自然な色調の写真って多く見かけますよね。 特にデジタルカメラで撮り、気軽にPCで編集ができるものだから、容易にコントラストや色彩の編集ができちゃう。   撮影の現場で見て感じた記憶を写真で再現すると、「あーなちゃうのかな?」とも思う。 感覚は皆それぞれ違うものだから、それはそれでいいのかもしれませんが、あまりに押し付けがましい写真は、私は どうも見るのも撮るのも苦手です。   それとは全く別の次元の話しで、写真をプリントして人に見てもらうとなると、その鑑賞者に印象に残る写真であってほしいものです。   わざわざ自分の撮った写真に目を向けてもらうわけですから、記憶に残って貰いたい。それには、ひとつめは、インパクトとか緊張感と言ったもののある写真。ふたつめは、インパクトはあるが、緊張感のない写真なのではないだろうか。と思う。   インパクトとか緊張感と言ったもののある写真は、刺激的で、心に瞬時に突き刺さるわけであり、写真の中へと引きずり込まされていく。且つ、写真が訴えている全てを読み取ろうとじっくりと見入ってしまうのである。   もう一方のインパクトはあるが緊張感のない写真は、前髪を揺すり、耳をくすぐりながら、目の前を吹き去って行く心地よい風が吹き去って行くかのように、五感で感じながらそれもゆっくりとしたリズムで脳内へと伝わり、いつまでも、緩く記憶の中に留まっているのである。    日常の生活が仕事中心で動いているせいでしょうか、心休まる風景にひかれる時が多いですね。 自分が撮りたいものと、ひかれる風景とは一致するものもあれば、そうでない場合もあるものですね。           撮影地:埼玉県志木市内 荒川河川敷にて                晴れ ときどき 写真。       ...

「自然と人間との接点」探し

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  「 自然と人間との接点」 人間が自然界の中で融和しているかのように見えている中で、クッキリと鮮明な境界線だったり、おぼろげでハッキリしない境界線だったりがあるのだと感じる。   いずれもの、その境界ギリギリの「極(きわ)」に自然と人間との接点が存在するはずである。   私の場合、カメラを持って出掛けに行くことは、単に写真を撮ることが目的ではなく、カメラは、対象物に失礼のないよう偽りなく、フィルム(デジタルデータ)に記録し、自分の感じ得た心情を収める最適な道具だと思う。  今年は、現実と向き合って、自然と人間との接点探しを目的とする。そして、その写真に 自然と人間との接点が写り込んでいたら、こんなに嬉しいことはない。    決して、自分の感じたことを他人に押し付けることのないように。とあえて、付け加えておきます。今の私の写真の腕じゃあ、偉そうな事は言えないけどね。 晴れ ときどき 写真。 http://tokidokiphoto.blogspot.jp

接点

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  都心部に住み、働いていると、人間がこの世の中心であり、人間の為に世の中が回っていると勘違いしやすいのではないだろうか。   しかし一歩、郊外に出て自然と接触すると、自分の小ささ、弱さを感じると同時に、自然の強さや優しさも感じることもあるでしょう。    私が住んでいるところは、全然都心部ではない。かと言って、自然環境豊かな環境とも言いにくい所ですがね。   今、「自然と人間の接点」を考え始めているところです。 晴れ ときどき 写真。 http://tokidokiphoto.blogspot.jp